震災後に急増「肺炎アウトブレイク」 命救う口腔のケア、医師の報告


被災地での歯科保健活動(上)

 2017年7月の九州豪雨から、まもなく3年。毎年のように発生する“想定外”の事態に、われわれはどう備えるか。福岡県歯科医師会などの要請に自ら手を挙げ、11年東日本大震災や16年熊本地震、九州豪雨の被災地で歯科保健活動に従事した「おおた歯科クリニック」(同県太宰府市)の太田秀人院長(51)と考えた。

 テレビから流れる津波被災地の映像を見て、いてもたってもいられなくなったという太田さん。クリニックを1週間休診し、歯科医師4人、歯科衛生士2人で構成する福岡・埼玉合同チームの一員として、11年5月15~22日、宮城県南三陸町の避難所や施設などを巡回することになった。

 未曽有の災害とはいえ、発災から2カ月後の派遣。支援活動の仕組みは既に整っていると思っていたのが第1の誤算だった。

 仙台市にある、受け入れ先の宮城県歯科医師会の本部は「地理的に遠い南三陸町や気仙沼市は、状況を把握しきれていない。とにかく行って、現地コーディネーターの指示に従って」。

 現地に着くと、確かに行政機能は崩壊状態。外部からの支援チーム同士が連携して活動する態勢はなく、コーディネーターを務めた地元歯科衛生士のネットワークを頼りに、毎朝その日の訪問ルートが決まるような状況だった。

 第2の誤算は、持ち運び型の診療機材があれば、日常の訪問歯科診療と同様、虫歯の処置や義歯の作成などは十分にできると思っていたこと。被災地では電源やきれいな水が確保できないなど、歯科治療の前提となる条件が整っていなかったこともしばしばだった。

歯科衛生士が活躍

 入れ歯を失ったり、歯の痛みがあったりすると、食事がとれず体力が落ち、感染症などにかかりやすくなる。太田さんは歯科医師としての腕を振るおうと意気込んでいたが、災害慢性期(発災の1~3カ月後)はそうしたニーズは少なく、むしろ存在感を発揮したのは歯科衛生士だった。

 福岡の歯科衛生士、鍬本(くわもと)房枝さんは、口腔(こうくう)用の保湿ジェルを大量に配布した。過疎化が進む南三陸町には高齢者が多い。水も不足しているだろうから義歯も汚れる。ストレスの多い避難生活では唾液も減り、口の中も乾燥するだろう-。そんな読みだった。

 太田さんら歯科医師も被災者にジェルの有効性を口頭で伝え、使うよう指導した。一方、歯科衛生士たちは、その場できちんと使い方を説明。場合によっては手書きの説明書を渡すなどして、相手に伝わる努力をしていた。

 いくら良いものでも、使ってもらわねば役には立たない。「生活に寄り添う歯科衛生士の姿勢に、改めてその役割の大きさを認識した」

 歯科衛生士の懸念は的中していた。後の調査で、気仙沼市で発災後、高齢者を中心に肺炎患者が急増する「肺炎アウトブレイク」が起き、多数の災害関連死が発生していたことが明らかになったのだ。

既に阪神大震災で

 「過去に学んでおけば、肺炎アウトブレイクの多くは防げたかもしれません」

 太田さんの言う過去とは1995年の阪神大震災。災害関連死した919人の約24%の死因が肺炎で、その多くは誤嚥(ごえん)性肺炎ではないかと推測されていた。

 なぜ肺炎か?。その理由は99年、医学雑誌ランセットに載った「特別養護老人ホームにおける肺炎発症率が、口腔ケアにより約40%低下した」という、歯科医師米山武義さんらの論文によって確たるものになる。

 それを知った一部の歯科関係者は、2004年の新潟県中越地震の折、避難所や仮設住宅などで、組織的に中長期的な歯科保健活動を展開。災害関連死に占める肺炎の割合を約15%にとどめることに貢献した。

 「中越地震時の成果は一部では知られていたが、医療の“常識”にはなっていなかった。私も含め、まだ災害は自分には関係ないところで起きる、人ごとだったからかもしれません」

 太田さんが現地に行くことで再認識した、被災地における口腔ケアの重要性と歯科衛生士の役割。その体験は、それから5年後の熊本地震で生かされることになる。 

(佐藤弘)

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