病床ぎりぎり総力戦 患者受け入れ状況、県と共有


「このペースで患者を受け入れていると、医療崩壊を起こしてしまう」。岐阜地域の総合病院の医師は、次々と新型コロナウイルス患者が運ばれてきた4月上旬を回想する。この病院は隔離設備などが整った感染症指定医療機関ではなく、新型コロナ患者を受け入れる病床を確保できる「一般病床」との位置付け。手探りで診療を始めたが、用意できた十数床は数日で埋まった。「院内の緊張感が一気に高まるのが分かった。強烈なストレスだった」患者の多くは、岐阜市のナイトクラブなどで確認され始めていたクラスター(感染者集団)の感染者だった。一般病棟のワンフロアを新型コロナ専用とし、清浄エリアと感染警戒エリアに分類した。当初は30床ほどを充てることができると見積もっていたが、医療用ガウンの着替えスペースなどを考慮すると結局は半分ほどしか割くことができなかった。医師ら約20人を集めて編成した対策本部で、外来患者や救急外来の動線も見直した。衛生物資はたちまち不足した。看護師らが使うガウンの腕部分には、食パン用の細長いビニール袋を転用した。手指消毒液は、薬剤師がエタノールから作ってしのいだ。この医師は「院内でコロナに関わらなかった部署はないくらい、総力戦だった」と振り返る。総力戦は、患者を受け入れた地域の病院間でも起こっていた。県は、どの病院が何人の患者を受け入れているかを一覧表とし、県内の医療機関に対して毎日通知していた。医師は「県の情報発信があり、他の病院も『うちも受け入れなければ』と前向きになってくれていた。患者が増え続ける中で入院先や情報の交通整理をしようとする県の動きは助かった」と評価する。県は、感染拡大前の2月上旬から医療機関との意見交換の場を持ち、いち早く会議体「調整本部」を立ち上げていた。中心となった県健康福祉部の堀裕行次長は「行政だけ、または医療機関だけで問題を背負わないよう連携を心掛けた」と意図を語る。調整本部を核に、軽症患者を受け入れるためホテルなどを借り上げる後方施設の確保などもスムーズに進んだ。ただ、岐阜地域の医師は「第1波の最大の教訓は、医療崩壊があっという間に起こるかもしれないという懸念だ」と強調する。この病院では軽症患者約10人が入院したほか、4~5月には発熱などがあるとして約800人もの外来患者が受診した。「仮に院内感染が1件でも起こっていたら、外来診療がストップして地域医療のバランスも崩壊してしまっていた」と指摘。「医療崩壊は県内どこでも起こりうる。第2波では、後方施設で柔軟に軽症者を受け入れるなど、うまく使う必要がある」と提言する。◇岐阜県に出された政府の緊急事態宣言が解除され、1カ月が過ぎた。コロナ禍は人々の暮らしや働き方、意識をどう変え、何をもたらしたのか。第2波への備えとして現場を検証する。

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