地震や豪雨など大規模災害が多発する中、被災したアレルギー患者をどう支えるかが課題となっている。中でも子どもに多い食物アレルギーは命に直結するが、混乱する被災地では対応を後回しにされがちだ。2016年の熊本地震で支援に奔走した関係者の話から必要な支援と備えについて考える。
熊本医療センター(熊本市)小児科のアレルギー専門医、緒方美佳さんは16年4月16日未明の熊本地震の本震発生後、直ちに日本小児アレルギー学会の仲間と連携し、被災地の患者支援に動いた。学会が中心となってアレルギー対応食を募る一方、アレルギー医療の拠点である福岡病院(福岡市)に物資をいったん集積し、選別した上で同センターに届ける仕組みを大急ぎで整えた。16日夕には第1便がセンターに到着した。
ところが被災地は大混乱のさなか。どんな症状の患者がどこにいるのか分からない。現地で対応する専門医は緒方さんだけで人手も足りない。複数の自治体に避難所でアレルギー食を配布したいと協力を求めたが「アレルギーの対応まではできない」「アレルギーの人はいない」と断られた。
やむなくセンターの総合受付の前にアレルギー食を並べ、必要な人に持ち帰ってもらう形を取った。一方で大勢の患者が一斉に集まればセンターの救急医療業務に支障が出かねない。積極的な情報の周知はためらわれ、学会を通じた間接的な発信や関係者の口コミに頼った。
それでもセンターには1日10人ほどが受け取りにきた。卵とクルミのアレルギーを抱え10日以上車中泊を続けていた市内の男児(6)は避難所の食事をほとんど口にできなかったという。「どんな食材が入っているか分からない」「症状が出ても診察が受けられないかもしれない」。不安に不安が重なっていた。
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同時期、他の団体も支援に乗り出していた。
日本栄養士会(東京)の災害対策チーム「JDA-DAT」は本震翌日の17日に現地入り。栄養士が避難所を巡回して食物アレルギーや離乳食、飲み込みが困難な高齢者など食にまつわるさまざまな悩みを聞き取り、必要な食品を届けた。6月末までに延べ約千人が活動したという。現地で指揮した国立健康・栄養研究所(東京)の笠岡宜代さんは「避難所の声には対応できた。ただ、車中避難者には十分に手が届かず、課題が残った」と言う。
NPO法人「アトピッ子地球の子ネットワーク」(東京)はボランティアのドライバー1人が活動。会員制交流サイト(SNS)などを通じて被災した患者から直接連絡を受け、個別に食品を届けた。多くは車中避難者。電信柱の番号などを目印に居場所を探し、物資を届けたという。
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緒方さんは当初「JDA-DATが現地で活動していることすら知らなかった」。両者が連携したのは本震から10日後の4月下旬だった。その経験を生かし、今年7月の熊本豪雨では現地入りしたJDA-DATが避難所の情報を緒方さんに伝えるなどした。
緒方さんによると、熊本地震では親戚宅などアレルギー食を自炊できる場所に身を寄せて乗り切った患者も多かった。とはいえ被災直後は必要な食材や自炊できる環境を自力で確保するのは困難だ。緒方さんは「最低3日分の食料を常備してほしい」と呼び掛ける。
一方で避難所生活を続けた患者の中には食材を過剰に避けて、何も食べられなくなる人もいたという。非常時、やみくもに食事を制限すれば栄養状態に影響する。緒方さんは「日頃から専門医の診察をきちんと受けて、どの食材を避け、どの食材はどのぐらい食べられるのか、正確に把握することが重要だ」と話した。 (本田彩子)