「会わないと忘れられる」面会中止の介護施設、妻の記憶から消えた夫


「コロナ禍の介護」(上)

 新型コロナウイルスの流行で、高齢者や障害者の介護に影響が出ている。介護事業所の休業や面会中止といった感染防止策で、心身の機能が下がり、家族の負担も増したという。認知症の進行、筋力の衰え、サービスを受けられない「介護難民」の発生-。当事者に起きたことを2回に分けて報告する。

 6月上旬、福岡県志免町の特別養護老人ホーム「やすらぎの郷(さと)」の玄関ホール。男性(83)はここで暮らす妻(81)と向き合った。

 認知症の妻が、透明の間仕切りの向こうでつぶやく。「お父さんが来ん」。男性は「ここにいるやろ」と顔を近づけたが、妻は首を振り、顔を背けた。

 感染を防ぐため、施設は2月末から家族の面会を原則中止した。その間、夫婦が会えたのは2回だけ。妻の記憶から夫は消えた。男性は「忘れられて、寝込むくらい力が抜けた。こんなふうになるなんて」。

 妻がここに来て約1年。男性は毎日、居室を訪れ、1時間半ほど一緒に過ごしてきた。髪をくしでといてあげると、「お父さん、そろそろ髪をカットせんと」。マニキュアを買い、爪をピンクに塗ってあげると、「きれい。似合ってる?」と声が返ってきた。

 妻の足をもみ、爪を切り、テレビを見て話す。男性はいつも、夫婦で暮らしていた頃の服を着た。自分への記憶を忘れさせないためだった。

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 子育てに家事、仕事、孫の世話-。家のことを全て担ってくれた妻には感謝しかない。恩返しのつもりで足を運んできたが、コロナでそれが断ち切られた。

 夫婦が会えた2回はともに10分程度。体に触れることはできない。「会わないと忘れられる」と聞いてはいたが、ショックだった。「なんで顔が分からんかねえ。せめて30分、体に触れてスキンシップができれば、思い出してくれるはずなのに」

 施設の安達満係長は、夫婦の再会に立ち会った。顔を背ける妻と、落胆する夫。「ご主人さんの表情が忘れられない」と振り返る。

 施設側も、家族の時間を減らすのは苦渋の判断だった。国が2月末、福祉施設などでは面会を中止するよう呼び掛けたため決めた。

 その後も試行錯誤は続く。3月末からやむを得ない時だけ、短時間の訪問を認めたが、4月に緊急事態宣言が出て再び中止。5月からはLINE(ライン)を使ったオンライン面会を始めた。6月から再び10分程度に限り、予約制で対面できるようにした。

 今は土日も6、7家族の予約がある。風通しのいい玄関ホールのテーブルに、透明の間仕切りを置き、面会用の場所にした。職員が消毒を繰り返している。

 施設は定員100人。感染者が出れば、利用者への影響は大きい。リスクを避けるため新たな受け入れも難しいといい、安達係長は「前みたいに家族が居室に入れるようになるか、見通しは立たない。家族が入る場所を制限しつつ、会う機会を設けるしかない」。

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 感染の広がりで介護事業所が休業してしまい、家族への介護に不安を感じる人も多い。

 同県筑紫野市の女性(54)は、ともに86歳で認知症の父母がいる。両親は2人暮らし。通っていたデイサービスが休業し、特に父に変化が出た。何度もトイレに失敗するようになった。

 通っていたのは、運動器具を使って体の機能を維持するデイサービス。スポーツジムで感染者が相次ぎ、4月から休業となった。家にいる時間が長くなり、父は歩くのも遅くなった。

 女性が実家に行くと、尿で汚れた父の下着と服が洗濯機に何枚もある。母も下着を便で汚すことが増えた。「たった2カ月で、こんなに悪くなるなんて」

 デイサービスは6月に再開したが、不安は残る。父は糖尿病で、感染すれば重症化しかねない。「コロナは怖いけど、認知症や体のことを考えてデイに行くべきか。それとも、体は衰えるけど、感染予防で通うのをやめるべきか。どっちがいいんですかね」

 女性は、事業者が少人数ずつでも受け入れるなど、完全休業にしない形を望む。「感染を防ぎながら通える形にしてほしい。新しい職員さんが必要になるかもしれないけど、せめて月に数回は行かないと、高齢者には影響が大きいです」

 (編集委員・河野賢治)

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【ワードBOX】介護事業所の休業

 厚生労働省によると、新型コロナウイルスの影響で休業した介護事業所は4月13~19日、通所・短期入所系サービスが858、訪問系サービスが51で、合計909事業所。ほとんどが都道府県からの要請ではなく、感染防止のため自主的に判断していた。九州7県で休業した通所・短期入所系サービスは福岡県51、長崎県15、他の県は2~8事業所。

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