【震災・原発事故14年】小児科診療所がゼロになった福島県南相馬市 「子どもたちの力に」東京から移住した開業医


東日本大震災、東京電力福島第1原発事故の影響で小児科クリニックがなくなった福島県南相馬市で、1人の医師が立ち上がった。「はらまちスマイルクリニック」院長の山下匠さん(39)は、「住民が安心して子育てできる環境づくりに医療の面で貢献したい」と2024(令和6)年6月に南相馬市に小児科を開業した。今では休む間もなく、次々と訪れる子どもたちを診察する。「相双地方の子どもたちの力になりたい」と力を込める山下さんは、地域になくてはならない存在になっている。小児科クリニックが不在に太平洋に面し、風光明媚(めいび)な景観が広がる南相馬市。人口約5万5千人(2月1日時点)。夏の浜辺はサーファーや海水浴客でにぎわう。国重要無形民俗文化財「相馬野馬追」は、1千年以上の歴史を誇る福島県を代表する伝統芸能の一つで、県外からも多くの見物客が訪れる。そんな景色が震災、原発事故で一変した。  地震や津波の直接死、避難などに伴う震災関連死で計1157人が命を落とした(昨年末時点)。原発に近い市内小高区は一時、全域が避難区域となった。住民に加え、医療関係者の避難などもあり、市内から小児科の診療所がなくなった。子どもが体調を崩した際には南相馬市立総合病院か車で30分ほどかかる隣町の診療所まで向かわなくてはならなかった。地域を守る医師になりたい山下さんは、東京都足立区出身。栃木県の自治医科大に進学し、小児科医を志した。卒業後は伊豆諸島の式根島、利島、小笠原諸島の母島で計4年間離島診療を経験した。島唯一の医師として内科、外傷、学校医、訪問診療、おみとりなど手術やお産以外はほとんど全て対応する総合診療医として勤務した。日常の生活を含め患者との距離が非常に近く、「島の人間」として地域住民と濃密な時間を過ごした。転機転機は突然訪れた。2017年11月、相馬市にある公立相馬総合病院の診療支援に当たった。妻の沙緒莉さん(37)は、南相馬市の南に隣接する浪江町出身。「いずれは地元に戻りたい」と考えていた。原発に近く事故後、避難区域が設定され多くの住民が避難した相双地方での勤務を検討していた中で、日本小児科学会による公立相馬総合病院の休日救急診療の支援募集を見つけ応募した。実際に診療に訪れた際、同病院の医師から南相馬市立総合病院小児科が震災以降、人手不足などもあり入院できない状況であることを知らされた。 「妻が育った地域を守るとともに、人手の足りない環境の方が離島で培った技術も生きるだろう」。 山下さんは2021年4月、南相馬市に移住し、南相馬市立総合病院小児科に入職した。 同僚と協力し、同病院への小児科の入院患者の受け入れを震災以降、10年ぶりに再開させた。それまでは胃腸炎や肺炎などの1週間以内で済む短い入院も相馬市まで行かなければならず、地域の課題となっていた。 「本来市内で完結できるはずの医療が欠けているのはおかしい」と医師としての使命感に燃えた。 ただ、診療を行う中で患者の保護者から「市内に小児科の診療所がないから相馬市まで通っている」という話を聞き、入院患者の受け入れを再開しても医療環境が十分といえない現状を再認識した。 「気軽に行ける診療所が市内にないと、今後も病院や親子が困ってしまう」。 診療所の開業を決めた。念願の開業2024年6月1日、南相馬市に念願だった小児科クリニックの開業を果たした。小児科を主としてアレルギー科と内科を兼ねる。開業理念に「相双地区の子どもたちの力になる」を掲げた。開業初日は土曜日の午前中のみの診療にもかかわらず、予防接種を含め46人が受診した。予想通りかそれ以上の受診数に午後まで診療に追われたが「改めて必要性を再認識できた」と手応えを感じた。その後も来院数は増え、需要の高さがうかがえた。特にインフルエンザが流行した11月と12月は予防接種の来院も含め100人以上が同院を訪れる日もあった。 「熱やささいなけがもすぐ診てもらえて助かっている」。 30代自営業男性は、これまでは6歳の長男を診てもらうため、待ち時間の長い南相馬市立総合病院や、相馬市の診療所まで通っていたが、時間がかかり症状が悪化しないか不安だった。同院の開業で相双地方の子どもの医療は改善しつつあり、「山下さんの成功をきっかけに、この地域で開業したいと思う人が増えてほしい」と子育て環境の充実を願っている。見えた課題開業から9カ月がたち、二つの課題が見えてきた。一つは病児保育の利用者数が伸び悩んでいることだ。仕事などの都合で療養中の世話が困難な子どもを一時的に預かる制度で、需要は高いと予想していたが、開業以降、2月下旬までで利用者数は延べ約60人にとどまる。一度に受け入れられるのは3人とはいえ、月に延べ6~7人程度しか利用されていない計算になる。病児保育への理解や周知が進んでいないことが横ばいの要因の一つと考えている。 二つ目は南相馬市の南隣にある双葉郡の小児医療の環境だ。双葉郡の大熊、双葉の両町にまたがる福島第1原発の事故の影響で、両町を中心に帰還困難区域が設定されている。一部では除染が進み避難指示が解除されたが、産業や住環境などの復興は道半ば。郡内には休止している医療機関もあり、県内外の協力や連携を強化することで医療環境を支えている。 山下さんは「双葉郡には常勤の小児科専門医がいません」と説明する。小児科が入った病院でも診てもらえないことなどもあって、40~50分ほどかけて楢葉町から通っている家庭もいる。安心して子育てできる環境にならなければ子育て世代は戻らないため、高齢化の加速などを懸念している。「双葉郡のためになにかできないか」と、双葉郡の一部自治体に問いかけた。診療所への手伝いや乳幼児健診の協力などの話が挙がっており「私が手伝うことで、なにか小児医療や子育て環境の改善につながれば」と誓う。小児医療の要として今後は、相双地方初の病児保育を住民に浸透させつつ、診療所としての認知を高めることを目標に掲げる。少子化や住民帰還が十分ではない中、先行きは不透明だ。小児科の醍醐味(だいごみ)は「今診てる子が親や祖父母になり、その子や孫まで診られること」と先輩医師から伝え聞いた。「何代にもわたって診察できるのは、その地域が子育てしやすいまちであり続けている証。この地域の小児医療の要として、より信頼してもらえる医師を目指したい」と意気込んでいる。※この記事は、福島民報とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。

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