「病魔今ごろ暴れだした」クボタ石綿被害、15年で600人に


兵庫県尼崎市にある機械メーカー「クボタ」旧神崎工場の内外で、アスベスト(石綿)による健康被害が発覚したクボタショックから29日で15年になる。元労働者らを含め工場内外にいた人たちから、今も新たな患者が出続けており、その数は計約600人に上る。同居家族の中で、複数人が石綿がんを発症するといった異常な事態も起きている。(中部 剛)◇兄が昨年死亡 大阪の西方さん◇大阪市内に住む西方秀夫さん(69)もその1人だ。旧工場の北約100メートルの民家で生まれ、29歳まで尼崎で暮らした。15年前、クボタショックに驚き、病院で健康状態を確認したが、異常はなかった。ひと安心し、被害の記憶が薄れていた3年ほど前、せきが止まらなくなった。2018年1月、石綿が原因とされる中皮腫と診断された。「病魔が今ごろ、暴れだした。毎晩眠れず、死ぬ恐怖を味わった」と話す。尼崎では、両親と2人の兄と暮らしていた。旧神崎工場が、毒性の強い青石綿を使っていた時期だった。昨年夏、5歳上の長男から「おれもかかってもうたわ、中皮腫や」と電話があり、そのわずか3カ月後に亡くなった。西方さんは右肺を手術したが、今年に入って左肺への転移が判明し、笑顔が減った。知人から「(大腸がんから復帰した)阪神タイガースの原口文仁選手に負けんよう、頑張るって言うてたやん」と励まされ、西方さんは「うん、うん」とうなずいた。◇妻も肺がん 尼崎の松浦さん◇今も尼崎市内に住む松浦貞雄さん(73)は一昨年の6月、市の検診で肺がんが発覚。右肺を3分の1ほど切除した。富山県出身。18歳で就職のため尼崎で暮らすようになり、結婚して市内に居を構えた。11年から検診を受けていたが、そのきっかけは妻のアスベスト肺がんだった。「旧神崎工場の近くに住んでいたから驚きはなかった」と話すものの、娘の健康被害が心配でならない。旧神崎工場で石綿を使っていたころ一緒に働いていた同僚にも、検診を勧める。クボタショックから15年となる今、松浦さんは石綿に対する危機意識が低下していると感じる。「クボタや国は、市民に石綿被害の可能性があることをしっかりと伝えるべきだ」とし、早期発見・早期治療の大切さを訴える。【クボタショック】2005年6月29日、機械メーカー「クボタ」が、尼崎市の旧神崎工場の従業員ら78人が、石綿が引き起こすとされるがん、中皮腫で亡くなっていると発表した。翌30日、同工場近くに住む3人が健康被害を告発。その後、周辺住民の被害が次々に明らかになり、クボタは工場を中心に原則1・5キロ圏内の被害者に救済金を支払う制度を設けた。同工場は毒性の強い青石綿でパイプを製造するなどしていた。■救済金請求計369人■アスベストが原因とみられる中皮腫や肺がんなどを発症した患者や、同様の病気で亡くなった人の家族らはクボタに対し、救済金を請求している。同社との交渉窓口になっている尼崎労働者安全衛生センターによると、請求者数は今年6月15日時点で累計369人に達した=グラフ。被害発覚から15年がたつが、この1年でも新たな請求者が14人おり、なお被害者が増え続けている。同センターの飯田浩事務局長は「被害は終わっていない。近年は横ばいの状態といえる。忘れてはいけない大惨事だ」と指摘する。

関連記事

ページ上部へ戻る