「PA(医療助手)」が支える在宅医療/浅川澄一氏【連載第121回】


—連載 点検介護保険—「夜中に変な人が目の前に立っていて」「妄想ですね。夢の中に出ることもありますけど、心配ないですよ」
東京都練馬区の患者宅を訪れた「やまと診療所」(東京都板橋区)の訪問医、水野慎大さんが高齢の男性患者と話す。一言一言に頷き、疑問に答え、話しかける。傍らで、若い男性が2人の会話をパソコンに打ち続ける。同行のPA、大谷竜さんである。PAとは、同診療所の独自の職種でPhysician Assistant、医療助手のことだ。2人のPAが医師とチームを組み、訪問診療の様々な業務を担うが、医療行為は出来ない。同診療所は在宅医療の世界で注目を集めている。ホームページの冒頭で大きく「自宅で自分らしく死ねる。そういう世の中をつくる」と、「自宅死」を堂々と謳う。医療機関が「死」を掲げるのは異例のこと。しかも、自宅死の浸透が、世の中を変えることになるとも言い切る。大言壮語ではない。2013年の開院以来7年で、訪問先患者数は約1000人。この6月末までの1年間の自宅看取りは341人に達した。年間看取りが300人を超える在宅療養支援診療所は全国で10か所に満たないから、トップグループに入ったと言えるだろう。急拡大を支えているのがPAのようだ。PAの発祥地、米国では国家資格であり、医師の監督下で手術の補助や診断、治療計画の立案、薬の処方などができる。
日本では、昨今「医師の働き方改革」の検討の中で、看護師のNP(ナース・プラクティショナー)と共に着目されているものの、制度化には反対論が強い。同診療所の安井佑院長は、米国のジョンズ・ホプキンス大学での研修時に、PAを目の前で見てきた。「心臓手術の際に、若い医師とPAが患者を人工心肺につなぐなど準備作業を済ませ、その後に執刀医のメスが入る。専門職の間で業務が分担され効率がいいと思った」。安井さんは開院翌年から「日本型PA」の育成に乗り出す。分厚い養成本を作り、テストを繰り返しプロに育てる。資格を問わないのが画期的だ。素人でも歓迎した。大谷さんはとび職だった。35人のPAの中に、前職が居酒屋店長や学習塾の営業マン、熱帯魚店や携帯ショップの店員などがいる。医療や介護の専門用語から制度の仕組みなどゼロから学ぶ。「最も重要なのはコミュニケーション力と性格」と安井さん。患者とその家族と話しながら治療法の判断を手助けする。医師が診察中に、家族から話を聞くことも。水野医師は「患者とは話しづらいことを家族から聞き出してくれるので助かる」と話す。ケアマネジャーや訪問看護師など外部の専門職や行政との連携も担う。なかでも、診療中に交わされる会話をそのままパソコンに記録するのは他の訪問診療では見られない。日常の些細なことも話題になれば書き留める。夜間に初めての医師が訪問する際に、この「会話録」を読めば、患者の普段の生活がよく分かる。やまと診療所で勤務経験のある「アーチクリニック」(横浜市)の関根一真院長は「治療が目的の病院と違い、普通の日々の生活を支えるのが在宅医療なので、とても役に立つ」と高く評価する。
こうして本人や家族が望んでいる「自分らしい生き方」「自宅での最期」の言葉を聞き出し、応える。PAの存在は大きい。浅川 澄一 氏
ジャーナリスト 元日本経済新聞編集委員1971年、慶応義塾大学経済学部卒業後に、日本経済新聞社に入社。流通企業、サービス産業、ファッションビジネスなどを担当。1987年11月に「日経トレンディ」を創刊、初代編集長。1998年から編集委員。主な著書に「あなたが始めるケア付き住宅―新制度を活用したニュー介護ビジネス」(雲母書房)、「これこそ欲しい介護サービス」(日本経済新聞社)などがある。

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