障害者に対する人権侵害を二度と繰り返さないために、徹底的な解明を求めたい。戦後まもなく議員立法により全会一致で制定され、半世紀にわたって強制的な不妊手術を容認してきた旧優生保護法(1948~96年)について、立法経緯や被害状況を検証する国会調査が始まった。制定から既に70年以上が経過し、時間やプライバシーの壁が立ちはだかるが、立法府自ら「負の歴史」と向き合う意義は大きい。過ちの全体像をつまびらかにし、内容の公開を通じて国民と共有していかねばならない。旧法は、障害や疾病がある人を「不良」とみなし、子孫の出生を防ぐという優生思想の下、知的障害や精神疾患、遺伝性とされた病気の人への不妊、中絶手術を認めた。96年に障害者差別に当たる条文が削除され、母体保護法となったが、旧法の下で不妊手術を受けた約2万5千人のうち約1万6500人が強制だったとされる。検証作業は、強制不妊の被害者側が法律を作った立法府の責任として強く求めた。昨年4月に成立した一時金320万円を支給する救済法にも明記されている。作業は衆参両院の厚生労働委員長の指示を受け、それぞれの調査室が国立国会図書館と協力して進める。3年程度かかる見通しだ。戦後、基本的人権を重んじるべき「言論の府」で、なぜ障害の有無などで人に優劣をつける優生思想が広がったのか。どのような経緯で旧法は制定され、強制不妊政策が進められたのか。国や自治体はどんな役割を果たしたのか。それらの検証には、被害者はもちろん、行政や医療機関などを広く調査する必要がある。ただ、保存資料が散逸し、当時のことを語れる人も少なくなっているといわれる。十分な態勢での実態解明を望みたい。救済法は「反省とおわび」を表したが、主体が「国」ではなく「われわれ」とあいまいにしたことが批判された。国の責任をどこまで明らかにできるかも問われよう。旧法の背景にあった優生思想は決して過去のものではない。障害者を「不要」とみて殺害した事件が起きる一方で、遺伝子解析による出生前診断など急速に進む医療技術の中にも「命の選別」は忍び込む。現代社会にもつながる問題として、検証を進めてもらいたい。