一度失えば二度と生えない大人の歯。治療はもっぱら義歯やインプラント(人工歯根)を使うしかないのが現状だが、京都市左京区のベンチャー「トレジェムバイオファーマ」は、歯が再び生えるという夢のような「歯生え薬」の開発に取り組む。乳歯が抜けた後に永久歯が生えそろわない先天性無歯症の患者に向け、2030年の販売を目指している。京都大大学院医学研究科の高橋克准教授(現客員研究員)の呼びかけで昨年5月に会社を設立した。社長には、当時、高橋研究室にいた歯科医の喜早ほのかさんが就任した。歯が何度でも生え替わるサメやワニと異なり、哺乳類の人間は1度きり。ただ、人の細胞内には、乳歯と永久歯の次に生える「歯の芽」が存在していることが先行研究で判明していた。喜早社長たちは、歯の芽の成長を止めて2回目の生え替わりを防いでいるタンパク質を発見。その働きを阻害する抗体を開発した。早速、先天性無歯症のマウスで試したところ実験は成功した。イヌでも注射後4カ月で歯が生えてきた。研究は今のところ順調で、23年には健康な人に投与する治験を開始し、安全性や有効性を詳しく検証する方針だ。「薬で歯が生えるなんて、そんなことがあるのか」。周囲の歯科医の驚きをよそに進む研究の原点には、喜早社長の実体験がある。中学生のころ、顎に腫瘍ができる病気にかかり、手術で右の奥歯2本を抜歯した。「ものをかみにくく、かみ合わせも悪かった。ずっとこのままなのか心配だった」。不安と隣り合わせの日々は、顎の骨が成長し終えた大学時代にインプラントを入れるまで続いた。先天性無歯症は、成長期の子どもにとって栄養摂取や成長の妨げになりかねない。先天性無歯症の治療薬を市場に投入できれば、その後、虫歯や歯周病で歯を失った人を対象にした薬の開発を進める。喜早社長は「歯がなくなれば気力も湧かなくなる。義歯やインプラントではなく、自分自身の歯でずっと過ごせる薬をつくりたい」と話す。
社長 喜早(きそ)ほのかさん
京都大大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)。歯科医。顎の骨の病気で奥歯を抜いた経験から歯の再生研究を志す。現場感覚を忘れないため、会社経営の傍ら京都市内の病院で診療も続ける。京都市出身。1児の母親。39歳。