精神科病院での拘束件数の増加が問題視される中、その根本となる拘束の要件を見直す議論が厚生労働省内で秘密裏に進んでいる。拘束ゼロの方向に向かうならともかく、関係者からは「医師の裁量を広げるのではないか」との不安が広がっている。そもそも、身体的自由を最も侵害する「拘束」という行為を、厚労省や業界団体の胸三寸で決められるような仕組みこそ問われるべきだ、との声もある。(木原育子)「息子、一也は帰ってきません…」。6月上旬、厚生労働省の会見場。大畠正晴さん(72)ら親子=石川県=が遺影を掲げ、声を絞り出した。時にうつむきながら、「これ以上、私たち家族を苦しめないでください」と悔しさをにじませた。矛先は厚労省だ。省内での身体拘束に関する要件見直しの議論がいよいよ本格化するという話を耳にし、いてもたってもいられなくなったのだ。正晴さんは身体拘束で息子を奪われた。2016年12月、長男の一也さんが注射を嫌がり抵抗したことが暴力だとして6日間拘束され、解除直後に40歳で亡くなった。死因はエコノミークラス症候群だった。正晴さんらは提訴し、一審金沢地裁で敗訴。控訴審の名古屋高裁では、拘束を命じた精神保健指定医の判断は「裁量を逸脱している」として逆転勝訴に。21年10月に最高裁が病院側の上告を退け、正晴さんらの勝訴が確定した。判決では、精神科医の中でも拘束できる資格を持つ「精神保健指定医」の判断を絶対視せず、告示を厳格に解釈したとし「画期的」とされた。しかし、これで終わらなかった。1カ月後、日本精神科病院協会が会見し、最高裁の判断を「到底容認できない」と声明。その4カ月後には厚労省が設置した検討会で、厚労省は拘束の要件に患者への「検査及び処置等ができない場合」「治療が困難」などの文言を加えるよう提案した。なぜこんな文言が提案されたのか。正晴さんは、一也さんが拘束された日のカルテに「検査ができないから拘束する」と書かれていたことを挙げ、「息子の時は駄目だったものを、新たに要件として書き込んでいいのか」と憤る。疑問に拍車をかけたのが、昨年10月から今年3月まで厚労省が野村総合研究所に委託した精神科医療での行動制限最小化に関する調査研究事業。その検討会委員には、先の裁判で最高裁に「拘束は適法だ」との意見書を出した2人の医師も任命されていたからだ。人選の公平性について野村総研は「個別事案の解釈については委員選定の条件に含めず、組織マネジメントや医療技術を条件とした」と回答。厚労省精神・障害保健課の関口晃司課長補佐も「『この人を委員のメンバーに入れて』と推薦したことはない。行政の取り組みも熟知された精神医療分野の第一人者は限られており、重複もあるのでは」とし、裁判を機に拘束要件の見直し議論が進んでいるわけではないと強調する。だが、野村総研の報告書は、今後の厚労省での要件見直し議論の下地になる。3月公表の報告書では、拘束要件の一つに「必要な期間を超えて行われていない」と新たな文言を加えるなど曖昧な表記も目立つ。杏林大の長谷川利夫教授(保健学)は「誰が『必要な期間』を認定するのか。医師の裁量を逆に広げるものだ」と指摘。これまでの告示要件は切迫性、非代替性、一時性といった3点が基準とされてきたことを踏まえ、「3要件の概念が破壊されてしまう。告示を改悪するのではなく、大畠さんの最高裁判決で示された判断を生かし、国は告示の厳格な運用を現場に指導するべきだ」と訴える。憲法18条は「人身の自由」を保障している。それを侵す身体拘束の要件を法改正ではなく、時の厚労相の告示で可能にしている現状が異様とも言える。身体拘束に詳しい池原毅和弁護士は「精神保健福祉法が、厚労相告示でよしとしていること自体が問われるべきだ。厚労相への白紙委任に過ぎないからだ」と訴える。「刑事事件でいえば、身体の自由を奪う逮捕権をどういう時にどう行使できるかは刑事訴訟法で非常に厳格に定められている。要件変更の際は当然法改正が必要だが、精神科病院での拘束は、役所と役所が選んだ委員の意識一つでいかようにもなる。この落差は世界でも類を見ない」と切り捨てる。告示は1988年の規定以来、35年間改定されず、これまでは慎重な扱いがなされてきた。だが、加藤勝信厚労相は5月の参院厚労委員会で「告示は、最終的には私の責任でもって告示をさせていただく」と答弁。池原氏は「手続きとしては、社会保障審議会に報告された後に告示されるが、審議会は賛否の結論を出す場ではない。案が出てきた時点で実質的にすでに決まっている状態ともいえる。民主主義国家としてありえない」と政策決定のあり方を疑問視する。実際、議論は不透明だ。野村総研に委託された事業は今年3月に報告書がまとまるまで、検討会委員のメンバーや内容など一切が非公開だった。出てきた報告書も概要版で、発言の主が誰なのか、概要でまとめた以外にどんな議論がなされたかなど、ひた隠しだ。「こちら特報部」は今年4月、厚労省に対し、この委託事業に関わる全ての情報について情報公開請求。だが、延長の末に6月中旬に公開されたのは、A4判わずか57ページ。すでにホームページで公開された議事の概要に加え、野村総研が事業に応募した際の提出資料や、採択の結果など委託締結に関わる書類だけ。かつ、「法人等に関する情報であって、公にすることにより、法人等の権利、競争上の地位その他正当な利益を害するおそれがある」とし、多くは黒塗りだった。野村総研に厚労省職員の参加の有無を問うと、「会議は対面とオンラインのハイブリッド形式で開催され、いずれも職員はオブザーバー参加し、推移を見守っていた」と回答。あらためて厚労省に、参加の際の資料やメモの存在について聞くと、今年4月に着任した藤井裕美子・精神医療専門官は「把握していない。メモなど前任者からの引き継ぎもない」とにべもない。また、今回の要件見直しには別の側面もある。昨年9月に国連障害者権利委員会の総括所見を受けてから初の大臣告示になることだ。委員会は「精神障害者の強制的な扱いを正当化し、不当な扱いにつながるすべての法的規定を廃止し…」と勧告。加藤厚労相は「法的拘束力を有するものではない」と早々に一蹴したが、日本障害者協議会の藤井克徳代表は「批准した条約に基づく総括所見を軽視していいはずがない。政府としても、国際評価を追い風に、制度変革の好機ととらえるべきだ」と指摘する。さらに藤井氏は「この国の政策検討のは『とりあえず』だった。この5文字で急場的に法改正を重ね、問題の本質を見えなくさせていった」とし、「異常な長期入院、異様な病床数の多さ、後を絶たない虐待、そして拘束の常態化…。精神医療に横たわる問題は構造的で固定的な実態の中にある。拘束の問題だけでなく、総合的に考えていくべきだ」と語る。そして「人権に関わる政策は何を論じるかより、誰が論じるかが決定的な意味を持つ。長年続くな人選による政策審議システムそのものが厳しく問われなければならない」と続けた。日本の身体的拘束が国際的にも問題視されるということは、海外では患者が暴れるといった場合に、身体拘束によらないで患者を落ち着かせる手法が確立され、それができる人材が十分に確保されているということだろう。厚労省がすべきは、そのやり方をまるっと輸入することでは。(歩)