ボランティアの母乳で赤ちゃんを救う「母乳バンク」の仕組みとは


小さく生まれた赤ちゃんの病気を予防するため、ボランティアから寄せられた母乳「ドナーミルク」を提供する「母乳バンク」の活動が、少しずつ広がっている。小児科医の水野克己・昭和大教授が7年前、自身の研究室で始めた取り組みだったが、9月に東京都内で2カ所目の拠点が開設された。さまざまな事情で母乳をあげられない母親と赤ちゃんを支える仕組みとは。【五味香織/統合デジタル取材センター】「3リットルのオーダーが入りました。在庫はある?」9月中旬、水野医師のもとに、ある医療機関からドナーミルクの提供依頼メールが届いた。すぐに、母乳バンクで母乳の処理作業をしている助産師の妻紀子さんに電話し、在庫状況を確認した。現在の提供先は小児専門病院など国内22カ所で、依頼の連絡が次々とやってくる。冷凍で届けられた母乳は、冷蔵庫で時間をかけて解凍する。専用のボトルに入れて低温殺菌した後、細菌検査などを経て提供先の医療機関に送る。雑菌が混じり、使用できない母乳も1~2割あるという。提供したドナーミルクは、子どもが成人するまで保管し、万一、母乳が原因となる感染症などが判明した場合に検証できるようにしている。妊娠の経過が順調であれば、妊娠40週前後で出産を迎える。赤ちゃんの出生時の体重は平均約3000グラム。ただ、何らかの理由で出産が早まり、1500グラム未満で生まれる赤ちゃんは年間約7000人に上る。特に妊娠25週未満で生まれた場合、体の器官が十分に発達していないため、感染症などの病気にかかるリスクが高い。例えば、腸の一部の細胞が死んでしまう「壊死(えし)性腸炎」を起こしやすい。水野医師によると、妊娠25週未満で生まれた赤ちゃんが壊死性腸炎を発症すると、死亡率は3~4割に上るという。ほかにも失明する可能性がある未熟児網膜症や慢性肺疾患などのリスクもある。母乳には腸の負担を減らし、成長を促す成分が含まれ、壊死性腸炎にかかるリスクを3分の1程度に減らすことが見込めるという。生後なるべく早く母乳を与えることが予防につながるとみられている。しかし、母親が出産直後に母乳を出せるとは限らない。特に早産の場合、乳腺の発達が十分でなかったり、母親自身が疾患を抱えていたりするケースがある。水野医師は「母親が母乳を出せるようになるまで何日も待つと、その間、子どもは新生児集中治療室(NICU)で絶食状態に置かれる。人工ミルクは牛の乳が原料なので、未発達の腸には負担がかかる。ドナーミルクの利用を、もう一つの選択肢にしていきたい」と語る。ドナーミルクを必要とする赤ちゃんは年間5000人ほどいると見込んでいる。3年ほど前、生後10カ月の赤ちゃんを連れた父親と祖父母が水野医師を訪ねてきた。妊娠中の母親にがんが判明し、治療のため急きょ帝王切開で生まれた子どもだった。壊死性腸炎や未熟児網膜症、難聴など、いくつもの疾患や障害があった。母親は出産から約2週間後に亡くなったという。「この子をどうやって育てていけばいいのか」と悩み苦しむ家族を前に、水野医師は「母乳バンクが広がれば、こういう子どもや家族を救うことができるのに」と歯がゆさを感じたという。母乳バンクは世界各国で増えており、現在は50カ国以上に約600カ所ある。日本では2013年、水野医師が昭和大江東豊洲病院の一角に開設。今年9月に育児用品の製造販売などを手がけるピジョン(東京都中央区)が本社内のスペースや設備を提供し、増設された。処理能力は従来の約6倍になり、年間2000リットルの母乳を殺菌処理し、約600人の赤ちゃんにドナーミルクを提供できる態勢になった。東京都世田谷区の女性会社員(37)は8月中旬、緊急帝王切開で第1子の女の子を出産した。血圧が急激に上がり、母子ともに危険と判断されたという。まだ妊娠31週で、予定日より約2カ月早い出産となった。出産から間もなく、小児科の医師から母乳バンクの説明を受けた。女性がすぐに母乳を出せなかった場合、ドナーミルクを提供してもいいかどうか尋ねられ、「赤ちゃんにとって良いことなら」と夫婦で同意した。3時間おきの授乳の最初はドナーミルクの提供を受けた。2回目からは母乳が出るようになり、自分で搾乳したものをNICUに届けてもらった。女性はドナーミルクに同意した理由を「自分が母乳をあげられずに子どもが病気にかかったり死んでしまったりする確率が少しでも下がるならと思った」と語る。今は夫と交代で毎日、我が子に会いにNICUへ通い、自宅で搾乳して冷凍した母乳を届けている。ドナーになる依頼があったら、今度は自分が協力したいと考えている。ピジョンが7月、妊婦と3歳未満の子を持つ女性516人を対象にしたネット調査では、母乳バンクを知らない人が半数を占め、まだ認知度は低い。また、自分の子どもがドナーミルクの提供を受けることに「抵抗がある」とした人は6割に上った。調査を担当したピジョンの手塚麻耶さんは「必要性や有効性を丁寧に説明する必要がある。妊娠前から広く知られるようになれば急な出産になっても抵抗感がなくなるのではないか」と話す。今年、ドナー登録した人は約50人いる。9月に登録した大学職員の女性(39)は、4月に第2子の長女を出産した。インターネットで母乳バンクの存在を知り、「自分の母乳が役に立つのなら」と登録したという。出産の際、胎盤が子宮に残って大量出血し、一時は危険な状態になった。「出産は命がけ。そのうえで小さな子どもをNICUに預け、抱っこすることもできない親の気持ちを思うと切なくなる」と話す。病院で血液検査や問診を受け、感染症や輸血の経験など母乳提供に支障がないかどうかを確認し、ドナー登録された。母乳は専用のパックに入れて冷凍し、1リットルほどたまったらクール便で送ることになっている。幸い、量は十分で、子どもが寝ている夜間や早朝に搾乳している。「母乳バンクがあることを知っていたら、協力したいと思う人は多いのではないでしょうか」と語る。水野医師は「多くのドナーは、自分の子育てだけでも大変な中、他の子どものために搾乳し、冷凍して宅配便で発送している。一人一人の思いがあって母乳バンクは成り立っている」と語る。ドナーになった人の中には、NICUに入院していた我が子を亡くした人もいる。教育資金にするつもりだったお金を「使ってほしい」と母乳バンクに寄付してくれた人もいたという。ドナーミルクの提供は妊娠34週相当までが目安で、一定の発達段階になれば、人工ミルクに切り替えても問題ないという。水野医師は「命だけが助かればいいわけではない。子どもたちがよりよく育っていけるように、できることをしたい」と語る。提供を希望する医療機関は増えており、今後は事務処理体制や運営資金の確保が課題という。26日に母乳バンクへの理解を広めるためのオンラインイベントを開催する。これまでの活動実績やドナーミルクを利用している医療機関からの報告、今後の展望などを紹介する。詳細は専用サイト(https://jhmba3.peatix.com/)から。

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