ヤングケアラー~幼き介護:認知症の祖母の介護のすべてを中学から「担当」 苦しさ、つらさ、自分で抱え込み…


通学や仕事をしながら家族の介護や世話をする子ども「ヤングケアラー」。その境遇は、介護が必要な程度や家庭環境、学校など、周囲の大人や友達とのつながり方などによって、多種多様です。東京都の谷村純一さん(仮名)は、認知症になった祖母を小学6年から大学1年まで介護しましたが、その生活は過酷なものでした。重い負担を背負ったヤングケアラーの苦悩を随時掲載します。(本文は敬称略)【ヤングケアラー取材班】「おばあさんが高熱を出したんです。迎えに来てください」中学校に入学したばかりの2010年4月、谷村純一(仮名、東京都)の携帯に、祖母キミコ(同、当時85歳)を預かるデイサービスの担当者から連絡がきた。そんな連絡を受けたのは初めてで驚いた。しかも、その日は最悪のタイミングだった。好きだった幼なじみの女の子から「誕生日だよね」とディズニーランドに誘われていた。午前10時過ぎ、舞い上がる気持ちで入場したとたんの電話だった。両親が離婚し、純一は3歳で母と別れて父と暮らしていた。会社員で多忙な父はその日は出張だった。女の子に事情を話してキミコを迎えに行った。その子とはそれっきりになった。キミコは父方の祖母で、もともと要介護認定を受けていたが、純一が小学6年の時に認知症を発症。そのころから日常の世話など介護にかかわるようになった。直前の会話や出来事を忘れ、湯を沸かそうとしてやかんを焦がした。火を使わせないことにし、朝晩の食事を純一が用意するのは父子家庭の「自然な流れ」だった。1人で暮らすキミコの家は純一の自宅アパートから徒歩2分。純一は夕方、スーパーやコンビニで2人分の弁当や総菜、パンを買い、一緒に食べた。父から預かる月2、3万円でやりくりし、家計簿をつけてレシートを貼る。午後9時過ぎに自宅へ戻り、宿題をした。翌朝、再び祖母を訪ね、前日に買った残りを食べさせてから登校した。昼間はデイサービスやヘルパーに委ねた。つえが欠かせないキミコが外出する時は必ず一緒に出かけ、転ばないように手をつないだ。純一が買い物に出ると、不安がるキミコは繰り返し携帯に電話をかけてきた。友達と全然遊べなくなったが、それまで母親代わりに面倒を見てくれた祖母のことだ。幼い胸に「僕はいいことをしている」と、どこか誇らしい気持ちもあった。あのディズニーランドの日を境に、ヘルパーやケアマネジャーから介護について相談を受けるなど、介護の全てが純一の「担当」になった。それは約7年続いた。◆ ◆祖母は認知症を発症する前、病気で入院した。その事態に1人で対処したのも小6の純一だった。ある日、下校していつものようにキミコの家に行くと、いなかった。置き手紙もない。行くなら美容院か病院だが、美容院は定休日だ。病院の受付で聞くと、主治医の部屋に連れて行かれた。キミコが肺炎で入院が必要だという。慌…

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