「事態の終わり見えず恐怖」 保健所緊迫の20日間


「事態の終わりが見えず、恐怖に近い感情だった」。岐阜県可児市など2市7町1村を管轄する可茂保健所(美濃加茂市)の保健師の女性(60)は3月末の心境をこう振り返る。管内では3月22日から新型コロナウイルスの感染者の確認が始まり、27日には県内初のクラスター(感染者集団)と認定された。感染者の濃厚接触者の特定、PCR検査のための検体採取、患者の入院先の調整、問い合わせへの対応―。「感染者が増えるたびに仕事が増え続けた」県内での新型コロナ感染は、3月下旬からの約1カ月に集中した。可児市だけでなく、岐阜市でも三つのクラスターが発生し、4月5、10日には1日で最多となる各11人の感染が発表された。県健康福祉部で対策の先頭に立つ医療担当次長(44)は「特に4月5日からの週は、非常に危機感があった」と明かす。業務の多くは、現場の保健所に集中した。感染者が確認されると、感染拡大防止の観点から行動歴や接触者の調査が行われる。保健師ら約10人が担当する可茂保健所だけでも、健康状態の確認が必要な対象者は一時400人に迫り、可茂総合庁舎の駐車場に急造した検体採取場では1日80件を超える検体を採取した。「このままいくと、同僚みんなが倒れてしまうのではと心配した」と末松さん。庁舎に寝泊まりする職員もいたという。一方で、県内初のクラスターを経験した保健所として、貴重なノウハウも得た。PCR検査の結果が判明する前から行動歴の聞き取りを始めたり、気が動転する感染者に親身になって相談に乗ったりと、工夫を重ねた。「ただ質問をするだけでなく、感染者の不安を緩和しながら対話することを心掛けた」と保健指導係の女性(45)。7本の電話回線は連日パンク状態だったが、保健師の女性は「ごくまれに『頑張ってください』と電話があり、何とかやれた」と振り返る。結局、可児市のクラスターは、関連したスポーツジムやゴルフ場の調査協力もあり、新たな感染者が確認されなくなった4月10日に「終息宣言」が出された。同保健所はその後も4例の陽性事例を散発で確認したが、末松さんは「クラスターの経験があるので、落ち着いて対応できた」と胸を張る。地方の保健所を襲った激動の20日間。「手探りで対応した自分たちの経験を、第2波に向けて他の保健所と共有する必要もある」と指摘する。◇岐阜県に出された政府の緊急事態宣言が解除され、1カ月が過ぎた。コロナ禍は人々の暮らしや働き方、意識をどう変え、何をもたらしたのか。第2波への備えとして現場を検証する。

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