コラム凡語:1滴のワクチン


ウシの乳しぼりの女性は天然痘にかからない。そんな言い伝えから18世紀末、英国のジェンナーが発明した種痘は、最初のワクチンと言われる。日本には1849(嘉永2)年に伝わった▼種痘に使う牛痘ウイルスは、人には皮膚に軽い疾患を起こすだけで天然痘に対して大きな免疫を生む。同年冬、郷里の福井に伝えるために種痘を施した子どもらと吹雪の中、滋賀県境の難所栃ノ木峠を命がけで越えた医師がいた▼京で種痘法を学び、種痘所を開設した笠原良策である。当時、ワクチンの品質を保ちつつ運ぶのは難しく、子どもに接種して吹き出た膿(うみ)を、駅伝のたすきのように別の子に「植え継ぎ」しなければならなかった▼福井にたどり着いても、人々の理解はなかなか進まない。健康な体に病原体を接種して危険はないのか。ウシの角が生えるといったデマもあったという▼新型コロナウイルスの長期化に備えワクチン開発が加速している。大阪府が先日、来年の実用化を目指し、人に投与するワクチンの臨床試験(治験)を30日から始める、と発表した▼ワクチン開発は通常10年以上かかるとされる。前のめりな声は多いものの、効果や安全性の確認には慎重な検証が欠かせない。1滴のワクチンを巡る先人の努力を思い起こし、焦らず完成を待ちたい。

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